ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

肌触りの良い日々ではなくても。ミニマリストの考え方

こんばんは、アツシです。

 

暮らしを豊かにする

「モノ」や「コト」

を綴っていきますね。

 

今日は

 

肌触りの良い日々ではなくても。ミニマリストの考え方

 

というお話をしようと思います。

 

 

 

あなたの毎日はどんな日々でしょうか。

 

つまらない?

 

楽しい?

 

幸せ?

 

苦しい?

 

色々あると思います。

 

 

今日は生き方のお話。

 

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肌触りの良い日々ではなくても

 

正直言って、僕らの日々は

楽しいことばかりではないのかもしれません。

 

毎日が楽しくてハッピーだという人も

中にはいるかもしれないけれど

 

そういう人は

そのままでオーケーです。

 

でも大多数の人の毎日って

肌触りの良いことばかりではない。

 

毎日様々なことが起こるし

そんな外からの影響は案外に大きい。

 

それでも

僕らの日々は続いていく。

 

だとしたら

僕らに出来ることは

自分がどう在るか、決めることだ。

 

 

どう在るか、あるいはどう在りたいか

 

どう在るか

 

それは言い換えると

どんな自分で日々を過ごしていきたいか

ということ。

 

それは

 

ある人にとっては

関わる人を勇気づける自分かもしれないし

 

ある人にとっては

どんな時も小さな喜びを

発見できる自分かもしれません。

 

どう在ろうと

それに良し悪しや正解はないから

どう在るのもいい。

 

 

起こることは変えられない

 

水が上から下に流れるように

僕らに日々起こる無数の事柄は

変えられないかもしれません。

 

だったら

自分の在り方ぐらい

自分で決めよう。

 

それでも日々の流れに飲み込まれて

イライラすることもあるかもしれないし

なんで自分ばかりこんな目に合うんだろう、

 

時にはそんなことを思うかもしれない。

 

 

そんな時はこんな言葉を

頭に思い浮かべてみて欲しいのです。

 

 

毎日楽しいことばかりではないかもしれないけれど

楽しくないことばかりでもないはず。

 

 

起こることは変えられないけれど

起こったことのどこを見るかは

いくらでも変えることが出来るから。

 

どうせ日々を生きていかなきゃいけないのなら

 

僕は起こったことを

面白がって生きていきたい。

 

起こる出来事を

「もう知っている」「やったことある」

で済ますことも出来る中で

 

起こる出来事を面白がって生きていけるなら

それは少し難易度が高めではあるけれど

日々は今よりも少しまぶしくなる。

 

そんな風に思うのです。

 

あなたの明日が今よりも少しだけ

まぶしくなるといいな。