ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

偏った価値観を愛せたのなら人生は ミニマリストの暮らし方

こんばんは、アツシです。

 

暮らしを豊かにする

「モノ」や「コト」

を綴っていきますね。

 

今日は

 

偏った価値観を愛せたのなら人生は ミニマリストの暮らし方

 

というお話をしようと思います。

 

 

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偏った価値観

「偏った」という言葉。

言葉にすれば当たり前のように感じるけれど

 

それを人生に当てはめてみると

意外と偏ることは難しいのかもしれない。

 

何に価値があると感じるかは

人それぞれだからこそ

 

似ていたとしても

全く同じ価値観を持った人に

出会うことなんてまず無い。

 

価値観によって

生き方は変わってくる。

 

 

誰もが偏っていることを愛せたのなら

 

人間関係の悩みはだいたい

価値観の違いによって生まれる。

 

誰だってこれまで生きてきた中で

得てきた今の自分の価値観を

無意識のうちに正義であり正しい

 

そう感じてしまうもの。

 

でもそれは

あなただけではなくて

あなたと関わりがある人にとっても同じこと。

 

見る視点が変われば

誰もが偏っている。

 

そんな当たり前のことに気付き

そんなことを愛せたのなら

 

昨日よりも少しだけ

目の前の人に優しくなれる

僕はそんな風に思う。

 

 

自分の偏りを認めること

人生を生きていく中で

大切なことは割りと少ないと

個人的には感じていて。

 

そんな中で最近

僕の中でヒットしている言葉が

 

「自分の偏りを認める」

 

という言葉です。

 

誰かに認めてもらう必要もなく

それが正解かどうかも関係なく

 

あなたにとっての納得解。

 

例えば

 

いつでも仕事のことを考えていたくて

休みでも仕事をしている人なら

 

外野から見ればそれは

偏ってんなぁ、なんて感じられても

本人がそれでイキイキ生きていて

 

「生の実感」

 

を感じているのならば

それって素晴らしいこと。

 

僕はそんなふうに感じます。

 

 

まとめ

 

僕が偏っているように

あなたが偏っているように

 

平均的に生きる必要なんて

全く無くて

 

今までが〇〇だったから

これからも〇〇していかなければいけないなんて

全くありません。

 

偏った価値観を愛せたのなら人生は

圧倒的に生きやすくなる。

 

僕はそう思います。

 

偏った価値観を愛そうと思えば

 

自然と

 

自分がどんなことを大切にしていて

どんな生き方がしたくて

どんな人たちと過ごしていきたいのか

 

そんなことを考える必要があるし

自分と向き合うことになるけれど

 

そんな時間は

これからの人生を豊かにしてくれる

良い時間になると思います。

 

どうか誰もが

 

偏った価値観を愛し

圧倒的に生きやすくなると良いな。