ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

離れてみる、そこから見つめてみる、その先は。ミニマリストの考え方

こんばんは、アツシです。

 

日常を楽しくする「モノ」や「コト」

を語っていきますね。

 

今日は

 

離れてみる、そこから見つめてみる、その先は。ミニマリストの考え方

 

というお話をしようと思います。

 

 

 

適正な距離だと

見えることも 

 

距離が近すぎると

見えなくなることがある。

 

そういうことって

あると思うんです。

 

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そもそもなんではじめたのかを考える

 

例えば

 

僕がブログをはじめた理由は

書きたかったから。

 

とてもシンプル。

 

 

写真で物撮りをはじめた時も

その理由は簡単で

 

撮りたかったから。

 

 

そこには

楽しさがひろがっていて。

 

 

ただ純粋に、こどものように

縦横無尽に言葉で、写真で

あそぶということ。

 

 

 

それだけで十分なんですよね

本来は。

 

 

 

楽しさはなぜなくなるのか

 

それがある時から

楽しくなくなることがあります。

 

 

それは

 

やりたいから

やっていたことが

 

やらなければいけないこと

 

になった時です。

 

 

 

もっと言うと

 

人からの評価や判断を

意識しすぎた時です。

 

 

楽しさって

人の評価や判断とか

実際にはまったく関係なくて

 

 

どう思われようが

 

 

あなたの中に楽しさがあるのなら

もうそれだけでOKなわけです。

 

 

 

離れてみるということ

 

あなたのやっていることから

楽しさが漏れ、抜け出して

 

楽しさが空っぽになってしまったのなら

一度離れてみるといい。

 

 

僕は毎日ブログを

書いていた生活から離れ

毎日物撮りをしていた生活から離れ

 

約3か月間それらから

遠ざかっていました。

 

 

ブログを書かなくても

生活はできます。

 

物撮りをしなくても

生活はできます。

 

 

 

それでも

 

 

 

それでも

 

 

 

僕の中には

 

書きたい欲求が再び

湧いてきたし

撮りたい欲求が再び

湧いてきました。

 

 

書きたいから書く

撮りたいから撮る

 

 

 

僕らが何かをやる時

 

複雑な理由なんて

ほんとうは

まったく必要ない。

 

 

 

離れて、見つめて、その先は

 

離れてみなければ

気付けないことはある。

 

それは恋愛に似ている。

 

近すぎて当たり前すぎることすら

それが無くなってみてその存在の大きさに

固まってしまうことがある。

 

 

そんな時、

勇気はいるかもしれないけれど

離れてみるのもひとつの方法だと思う。

 

 

離れた場所から

見つめてみることでしか

見えないことがある。

 

 

離れてみて

もう戻ることがない場合もあれば

 

離れてみることで

また戻ることもあるだろうし

 

 

出会いがあれば別れがあるし

別れがあれば出会いがあるのだろうと思う。

 

 

それは

物だろうと人だろうと

同じなのだろうなぁ。

 

 

 

まとめ

 

離れて、そこから

見つめてみることでしか

見えてこないことがある。

 

 

楽しさが空っぽになったのなら

握った手を離した方が良いということ。

 

 

何かを掴んだままでは

他の物を掴むことはできない。

 

 

一度離れることで

楽しさが復活することは

往々にしてある。

 

 

もっとシンプルに

やりたいことをやろう。

 

 

人生を楽しもう。

 

 

僕らにはこの先

どうするかを選ぶことが出来る。

それはとんでもない希望だ。

 

 

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