ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

それでも発信し続ける。

幸せに生きるって何だろうか。

人それぞれの幸せのカタチがあるのだと思う。

 

幸せとは言いかえれば、人それぞれの価値観だ。

 

どんな価値観を持って生きていくかで

その人の幸せは決まるのだろう。

 

あなたはどんな価値観を持っていますか。

じっくり考えたことがありますか。

 

なんというか、今の世の中はほんとうに

様々なことに対してスピードが速い。

 

 

ひとたび社会に足を踏み入れると

なかなか自分にとっての

幸せって何だろう?

 

どういう風に

生きていきたいのだろう?

 

そういうことを考える時間も取りずらい。

純粋な気持ちを思い出せなくなることもある。

 

 

流れるように生きることが悪いとは思わないし

大きな流れの中にいるときは、その流れに乗らないと

そこでやっていくのは難しいということも分かった。

 

 

だから人は、その場で頑張るという選択をするのだと思う。

「環境を変えるというよりも、その環境で自分が何をするのか」

そこを変えようとする。環境に適応しようとする。

 

その環境で頑張った延長線上に

自分が目指している生き方が出来る可能性があるのなら

それがいいのだと思う。

 

だけど、自分の人生を考えた時に

向かう方向性が違うのならば、そこを飛び出すのも

一つの決断だと思うのだ。

 

逆算をすることで進むべき道は変わってくる。

 

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僕は、生き方の価値観とは

 

会社にとって良い人に

なることではなくて

 

自分の好きなことで

飯を食って生きていく。

 

その覚悟だと思っている。

 

 

最近は、

自分の生き方を大幅にモデルチェンジする必要がある

と感じていて

だからこそ発信することの大切さを改めて感じている。

 

自分がどういう人間で、どういうことに興味があって

どんなことを考えているのか。

 

それを発信する、発信し続ける。

形にこだわるんじゃなくて、とにかく

発信する。それが大切なんだ。

 

それは世界に対して

宣言をするということだと思うのだ。

 

「類は友を呼ぶ」という言葉があるけれど

辞書を調べるとその意味は

気の合った者や似通った者は自然に寄り集まる

と書いてある。

 

 

自然に集まるというのは

僕は波(振動)が関係していると思うのだ。

 

人や物には固有振動数があり言葉や思考にも

それぞれ振動数があると僕は思っていて

 

だからこそ発信するということが大切なんだ。

 

自分のことを発信するということは

自分の振動(波動)を世界に対して

放っているということで

 

そこに反応する人がいるならば

その振動と共鳴しているから

反応しているのだと思うのだ。

 

きっとその人とは、価値観が合う部分がある。

いや、それは間違いない。

 

生き方は自分で決めればいい。

 

だけど価値観が合う人がいるというのは

とてつもなく重要なことだ。

 

人と会う、話すということが大切なんだ。

先人がいるのならば、生き方のヒントが会話に潜んでいる。

 

求めなければ現状は変わらない。

最終的にどんな事も自分が決めなければ状況は変わらないけれど

そのキッカケは、いつも人が運んできてくれる。

 

大事なことは真剣になっても、深刻にならないことだ。

 

これから自分の人生を

どういう風に生きていくのかは真剣に考えつつも

 

この世界を、

この生命を楽しむという姿勢

その姿勢こそが楽しいことを

運んでくるのだ。

 

生命を楽しもう!

生きているのは常に今、今、今なのだ。