ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

体温のあるやりとりをしたいだけ。

こんにちはー、あつしです。

 

 

ふと、降ってきた言葉が

ありました。

 

 

体温のあるやりとり。

 

 

僕が人と触れ合う時に

喜びを感じる瞬間は

それに尽きるな〜と。

 

 

 

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うまく自分の気持ちを

表現できなくてもいい

 

無理に会話を盛り上げなくてもいい

 

背伸びする必要なんかもない

 

そのまんまのあなたでいい。

 

 

あなたはあなたのままでいていい

 

僕も僕のままでいていい

 

誰もがそのままのあなたでいていい。

 

 

 

全く同じ人が誰一人として

存在しないように

世界は奇跡的でいてそれはアンビリーバブルな絶妙なバランスで成り立っている

 

 

それが希望なのだと思う。

 

 

 

自然体でいる人をみると

 

心に爽やかな風が吹き抜けるような

喜びを感じるのは

 

自然体で生きることが

その人本来の魅力を

解放することであり

 

それが結果的に

清々しく生きていくことに

つながっているからなのだと思う。

 

 

どんな人であれ、

自然体な人は

輝いている。

 

 

それが人間のもつ

美しさの源なのだと思う。

 

 

その自然体の中には

色々な人がいるのだから

 

その中から自分が

 

心地よい、素敵だな

 

と感じる人と過ごせばいいわけで。

 

 

 

そこは個人的な好み。

 

 

 

 

 

最近はすごくこの

 

「好み」

 

 

という言葉が僕の中で

キーワードになっていてね。

 

 

本来はみんな

自由なのだと思うんです。

精神的にも、身体的にも。

 

 

流されるように生きてもいいし

生きたいように生きてもいいし

海外で暮らしてもいいし

誰と連絡を取らなくてもいいし

 

 

そんな自由に制約をつけて

自分を縛っているのは

いつも自分なのだと思うんです。

 

 

ちょっと極端な話だけど

 

 

あなたは明日死ぬとしても

今日と同じ生活をしますか?

 

 

パーティーで大騒ぎしたり

旅行で観光を楽しむのも

非日常を楽しむのもすごくいいと思う。

 

 

ただ僕の場合は

 

 

日常をただ丁寧に生きていき

会いたい人と過ごして

他愛のない話で笑いあって

自然のある場所で風を感じたり

そんな、なんでもない1日を

過ごしたいなぁ〜

 

 

と、そんなことを感じるわけです。

 

 

これも、僕にとってはこれが

 

好み

 

で、これが心地よくて喜びを感じる

ということ。

 

 

 

けして世間からしたら

誇れるような生き方でもないし

 

僕の周りにいる人には

心配もかけたり

多大なる迷惑もかけているだろう

(僕の知らないところでのこと含め)

 

 

だけど、僕はそれでも

 

 

純粋に自分の思うように

生きていきたいし生きていく。

 

 

 

やりたいことをやろう

だれよりも自分を信じて愛してやろう

愛をもって人に触れよう

喜びを発信しよう

 

そんなことを

身近な人からはじめよう。

 

 

すべては出すことからはじまる。

 

 

それではまた〜