ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

どっちでもいいぐらいが丁度良い

こんにちは、「好き」を見つけて

ハッピーに生きるコンサルタントの

アツシです。

 

 

僕は毎日に感動しながら

生きていきたいと思っています。

 

 

実際、毎日喜びが

身体中を駆け巡る瞬間が

何度かあります。

 

 

もうそれは言葉では

表現できないレベルの

 

満ち足りた、

愛の存在を確かに感じる

そんな感じなんです。

 

 

あぁー、今幸せだなぁー。

そう感じて生きていけることの

幸せを噛みしめながら

今日も綴っていきますね。

 

 

 

ほんと、何なんだろう。

最近言葉が内側から溢れてくる。

 

 

命が叫んでる。いや、もはや

叫びまくってるってレベル笑

 

 

今日は、僕が感じている

生きるスタンス

についてのお話です。

 

 

 

 

どっちでもいいぐらいが

丁度良い 

 

 

僕は最近、もうほんとに、

我慢をしてないんですね。

 

自分の本音に対して。

 

心がしたくないと

言っている時はしない。

 

心がしたいと

言っている時はする。

 

 

すると、ほんとうに

ストレスが激減するのね。

 

 

自分に優しくするってことは

自分を愛するってことと同じでさ

 

 

自分を愛することができたらさ

ほんとに外側(自分以外)に対して

 

 

愛を持って接することが少しずつだけど

出来るようになってきたのね。

 

 

だからさ、最近はね

日常で起こる様々な出来事に対してね

 

どっちでもいいじゃんって

気持ちで過ごせることが嬉しいの。

 

 

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どっちでもいいで過ごすから奇跡が舞い込むんだ

 

まずね、何が起こっても

どっちでもいいって気持ちで過ごせると

 

 

何が良いって、

自分自身が

心地よく過ごせるのね。

 

 

それで、外側の要因に

振り回されることが、

ほとんど無くなるのね。

 

 

これ僕はすっごく

重要だと思うのね。

 

 

自分のマインド(気持ち)さえ

整っていれば、外で嵐が起きようが

柳の木のように、しなやかに、たおやかに

しなって過ごせるよなぁって。

 

 

それだけでも、最高だぜ!

って感じなんだけど、そういう

気持ちで過ごしていると

 

世界が愛を持って

僕たちを迎えてくれることが

あるんだよ。

 

 

僕の最近の話で言うとね

髪を切りに行った後、

 

 

 

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「あっ、こがね食堂(ご飯屋さん)のかき氷食べたい」

(宇治金時ミルクかけ)

 

って思っちゃったから

軽やかな足取りで向かったんだよ。

 

幸い、かき氷を注文できるだけの小金

は財布に入っていたからね。(こがね食堂)

 

 

チーン(-人-)

 

 

言葉遊びはおいておいて。。。

 

 

こがね食堂に着いたら

注文するよね。

 

 

こっちはワクワクして

テンション上がってるから

「宇治金時ミルクがけの小盛り一つ!」

ってバシっと言う訳さ。

 

 

そしたらさ

店員さんが申し訳なさそうに

 

「ちょうどあなたの前の方の注文で

宇治金時のシロップがなくなっちゃったんです…」

 

って言うんさ。

 

 

 

ガビーーーンΣ(゜口゜lll)

 

じゃん。これ。

鼻から牛乳クラスのガビーンよ。

 

 

 

だけどさ、そん時に思ったわけ。

普段なら宇治金時にしか

目がいかないけど

 

 

それが無いなら今日は

いちご味のかき氷(ミルクかけ)を

食べてみるのも良くね?

 

ってね。

 

 

 

こんな機会でもなかったら

頼むこともないだろうしって。

 

 

だからさ、なんかナチュラルに

気付いたら言ってたんだよね。

 

「あっ、じゃあいちご味のミルクかけで!」

 

って。

 

 

そんな風に思えることも嬉しかったし

いちご味を楽しみにしている

自分がいることも嬉しくてね。

 

 

で、ワクワクしながら

あぁ、なんか究極、

ほんと生きてるだけで

幸せだよなぁーって思ったりしながら

 

いちご味のかき氷がくるのを

待ってたのね。

 

満ち足りた気分で。

 

 

そしたらさ、なんか

宇治金時注文してた人が

キャンセルしたらしくて

 

「ラスト宇治金時(ミルクかけ)

1つだったら出来ますよ!」

 

って店員さんがススメてくれるという

謎の現象が起こったのね。

 

 

全然期待してなかったところに

こういう奇跡って転がり込んでくるよねー。

 

 

 

 

 

「じゃあ宇治金時ミルクかけ一つで!!」

 

って注文した時の

 

 

店員さんの優しい表情よ。

 

 

なんかさ、もうその気持ちだけで

胸いっぱいになっちゃうじゃんって。

 

 

もうバファリン

(半分はやさしさで出来てる)

かよって。

 

やさしさの塊かよってね。

(とは言いつつ、かき氷は

しっかり完食したけども笑)

 

 

この時に感じたのはさ

 

 

僕らが鎧や剣を持って

完全武装して世界に立ち向かうとさ

 

やっぱ世界も僕らに

完全武装して立ち向かってくるんだなと。

 

 

だけど、

僕らが世界に対して

まるごしで、何が起こっても

うん、大丈夫だぜ!ってスタンスで

過ごしていけば

 

世界も僕らに対して

愛という奇跡のボールを

投げ返してくれる

 

僕はそう感じたのね。

 

 

何が起こっても

幸せじゃん。

 

別に悟っているわけでもないし

全然物欲だってあるんだけどさ

 

最近すっごく思うことがあってね。

 

 

今日の話で言うと

 

もちろん

(宇治金時ミルクかけ)

食べられたら幸せ。

 

だけど

 

食べられなくても

幸せじゃん。

 

 

ってすっごく思うのね。

 

 

 

何かを達成というか

獲得したら幸せっていう

考え方じゃなくて

 

別に何も達成できなくても

獲得できなくても

僕らは今、生きてるわけで

 

それって、ほんとに

幸せだよなって。

 

 

食べられたら、それはそれで

もちろん良いのだけど

 

食べられなくても、

幸せに変わりはないよなって。

 

そういう考えで

日々を過ごしていると

 

どう考えたって

幸せが溢れてくるんだよね。

 

 

幸せの沸点は低くていい

 

島根にきてから、

創業120余年の伝統のある

鯛めしを食べる機会があってね

 

 

もう、そりゃあ

美味いに決まってるわけ。

 

 

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実際食べたら、ため息ついちゃう程

めちゃくちゃ美味いのね

(実際に僕はため息をつきました)

 

 

もちろん、幸せなわけ。

 

 

でもね、鯛めしじゃなくても

僕は毎日の納豆ご飯でも充分に

幸せを感じるのね。

 

 

何が言いたいかっていうとね

 

 

鯛めしでも幸せ

毎日の納豆ご飯でも幸せ

 

 

僕は、幸せの沸点が

低いんだと思うんです。

 

 

鯛めしが上で納豆ご飯が下ってことが

言いたいわけじゃなくて

 

 

特別なことじゃなくても

日常の中にあるありふれた

幸せにピントを合わせられることが

 

 

日々を心地よく、豊かに生きていける

ポイントなんじゃないかなって思うんです。

 

 

 

まとめ

 

こだわりってすごく

重要だと思うんだよ。

 

自分が生きる上でこだわりが

あった方が楽しくなるよなって。

 

だけど生きるスタンスについては

こうする!!ってガチガチに

決めない方が楽に生きれるよなって思うのね。

 

 

僕は最近、強く思うんだけどね

誰もがみんな、その人にとって生きやすく

この世界を生きていけばいいなって思うのね。

 

 

こだわりを捨てたほうが

生きやすくなるなら

 

僕はもうアッサリ

捨てていこうと、思うのね。

 

 

実際に実感として

手放すのが怖いものを手放すほどに

生きやすくなってきていると思うし

 

手放すのが怖いものを手放すほどに

生きている実感を強く感じるように

なってきてるのね。

 

 

世界は愛で出来ているから

もう恐れを手放して

無条件にその愛に身を委ねてみれば

世界は変わると思うんだ。

 

 

love yourself first

軽やかに生きよう