ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

自然が教えてくれること

f:id:atsushi-ishida-ai:20160624201150j:plain

定期的に自然に触れる時間を持つようにしている。

 

特別な理由なんてないのだけれど

自然に触れることで気持ちがフラットになる。

 

単純に、その時間が心地良いのだ。

心に穏やかさや、あたたかさが広がるんだ。

 

 

自然に触れるといっても、それはなにも

遠出をしたり、キャンプに行ったり、

そういう特別なことではない。

 

自然、それは

 

帰り道に道端に咲いているシロツメクサ

不意に吹く風を肌で感じる

耳に入る鳥のさえずり

見上げた星空の壮大さ

雲一つない青空のグラデーション

クチナシの甘い香り

坂道から見上げた夕日の美しさ

 

 

それは何も特別なことではなくて。

 

 

普通に生活をしている中で僕たちの目の前には

いくつもの自然という素材が差し出されている。

 

日常に心が震えるような喜びを感じる瞬間は

実はいくらでもあると僕は思っている。

 

 

だけど僕らがそれに気づく瞬間は

とても少ないように思う。

 

 

この世界はとても面白くて

僕たちは自分が見たいようにしか

この世界を見ることは出来ない。

 

思考を、視点をどこに向けるかによって

僕たちが見ている世界は驚くほど違う。

 

それと違って自然は、そこにただあるだけだ。

自然は悠然とそこに存在しているだけだ。

 

 

だけどその存在に触れるだけで

僕たちは、沢山のことに気付くことが出来る。

 

自分にとって、本当に大切なことって何なのか。

 

 

何を大切にして生きていくのか。

僕にはずっと昔から感じていることがあって

それはなるべく自然に生きていきたいという願いだ。

 

昔は太陽と共に起きて、日が沈めば自然と床に就く。

そして食生活にしても、大豆や穀物など素朴な食事をとっていた。

 

僕たちの生活は様々な技術によって

日に日にどんどん便利になっている。

 

どんな原理でそのシステムが成り立っているかなんて

理解出来ないことなんてざらにある。

 

何気なく使っている携帯電話だって

車だって、作り方さえ僕には分からない。

 

たまにそんなことを考えると、笑えてさえくる。

僕には何も分からない。

 

そこには僕には想像も出来ないぐらい

沢山の人たちの理想や努力があるのだろう。

 

おかげで僕らは便利な生活が出来ている。

それは、ほんとうにありがたいことだ。

 

世の中は、どんどん便利になっていく。

それはこれからも変わらないだろう。

 

だけど、どうだろう。

昔に比べてどんどん便利になっているこの世界で

僕たちの心は豊かだと言えるのだろうか。

 

圧倒的に便利になった今よりも

はるかに不便だった時のほうが

 

人の気持ちは、豊かだったように感じる。

 

僕たちは自然と共に生きてきた。

DNAには、その存在が刻まれているのだと思う。

 

むしろ僕たちは自然の一部だ。

どれだけ便利な世界に生きていようと

僕たち人間が世界を創っているのではない。

 

僕たちは自然に生かされている存在なのだと思う。

 

だからなのかもしれない、自然に触れた時に

安らぎを感じるのは。

 

僕にとっての

「なるべく自然に生きていく」

とは自分の願いを叶えていくということだ。

 

ただ息をして生きているような生き方ではなく

生きている実感をこの手に感じながら

喜びや嬉しさ、命の躍動を感じながら生きていきたいんだ。

 

ただ、死んだように生きていきたくない、と思う。

 

それは自分の本音を掬い取ることなんだと思う。

何に喜びを感じ、何にワクワクして、どんなことに心地よさを感じるのか。

 

自分自身の願いを

自分が叶えてあげること。

それは何も

特別なことではなくて

自分自身を満たしてあげること。

 

それ以上に必要なことなんて

何もない。

 

 

 

極端な話、何もしたくないと感じるなら

何もしなくていいのだと思う。

 

僕たちには何かをすることが良いことで

何もしないことが良くないことだというような

そんな刷り込みがインストールされているように感じるんだけど

 

そんなものは、アンインストールすればいいと思う。

 

どんなことに価値を置くかは自分で決めればいい。

 

僕のように書きたいと思うなら書けばいいし

どこかに行きたいと思うならば行ってみればいい

言いたいことがあるならば言ってみたらいい

辞めたいことがあるならば辞めてみたらいい

 

我慢するということは、自分で自分の願いに

ストップをかけている状態なのだと思う。

 

我慢すること=エラいこと。という思い込みも

捨てればいいのだと思う。

 

普通に生きていれば飢餓に苦しむこともないこの社会で

年間に3万人が自ら命を断つというのはどう考えても異常だ。

 

我慢して、我慢して、我慢して、壊れてしまうならば

その場から離れたほうが良い。圧倒的にその方が良い。

 

 

どんなことでも良い。

自分の気持ちの赴くままに

何かしてみるといいと思う。

 

 

誰に言われた訳でもなく何かをするということは

僕たちに大切な何かを思い出させてくれるはずだ。

 

 love yourself first

軽やかに生きよう