ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

生きるって、ようは発表会なんでしょ?

僕は谷川俊太郎の「生きる」という詩が大好きだ。

 

 

生きる(谷川俊太郎)

 

 

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること


あなたと手をつなぐこと


生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと


生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ


生きているということ
いま生きているということ


いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ


いまいまがすぎてゆくこと



生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ


人は愛するということ


あなたの手のぬくみ
いのちということ

 

この詩はいつも、僕の心にあかりをともしてくれる。

なんというか真理というか本質というか。ほんとうに深い。

 

生きているって、ほんとミラクルなわけで

あなたがこの地球のこの時代、今この日本を選んで生まれてきて

今も生きているということは、それはもうほんとうに

スペシャル以外のなにものでもなくて

 

まさにLIFE IS A GIFTなわけで。

 

それがあなたにとっても、僕にとっても

今、いま、イマなわけで。

 

誰もが、1人1人、そんな生命(いのち)なわけで。

その生命を輝かせたいっつーのは

もはや本心というか当たり前というか。

そんな風に思うわけです。

 

そんな時に、生きるってなんだろ?って考えたら

表現なんて人それぞれだけど

生きるって発表会だなって思ったのね、僕は。

 

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生きるって常に本番だと思うのね。

常にあなたの今、今、今の発表の場なわけ。

 

でね、何を発表するかって言われると

もうどうしようもなく「今の自分」が問われているのだと。

ただその表現方法はほんとうに自由で。

 

 

なんだっていいんだ。

何を発表してもいいんだ。

 

あなたが、あなたの今を

発表するということは

 

世界にあなたが

溢れ出すということだ。

 

 

 

あなたが感じたまま「表現」するということは

必ずオリジナルなんだ。そこには個性というよりも

あなたが必ず溢れ出す。

個性なんて意識する必要すらないんだ。

 

 

 

生きるってあなたにとっては何ですか?

 

 

生きるって

楽しむことでしょ?

 

 

 

生きるって

感動することでしょ?

 

 

 

生きるって

笑うことでしょ?

 

 

 

生きるって

愛することでしょ?

 

 

 

生きるって

喜びを共有することでしょ?

 

 

 

生きるって

遊ぶっていうことでしょ?

 

 

 

 

生きるってどういうこと?

それは人によって違うかもしれないけれど

自分で決められるっていうことでしょ?生きるって。

 

 

生きるっていう発表会であなたは何を表現しますか?

あなたにとって生きるってどういうことですか?

 

 

生命を爆発させよう、喜びの狼煙をあげよう。

今を生き切ろう。