ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

「シンプル思考ですっきり身軽に暮らす」やまぐちせいこ を読んで

今日は

 

「シンプル思考ですっきり身軽に暮らす」やまぐちせいこ を読んで

 

というお話をしようと思います。

 

 

今よりも

精神的にも物理的にも

身軽に暮らすって

僕はすてきだなぁと思います。

 

 

 

身軽に暮らすって

身軽に生きることと同じ意味だと

思うんですよね。

 

 

 

身軽に生きることって

どういうことだろう?

 

ってところから

 

今日はそんな

ヒントがたくさんあった

 

この本の内容を

シェアしていきますね!

 

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ミニマリストという考え方

 

ミニマリストというと、モノを持たない暮らしを、イメージする人が多いと思いますが、モノが多い少ないは表面的なもので、その先の心の持ち方が大事だと私は考えます。大切なもののために、何を削り、何を残すかを判断し、行動を起こせる人、それがミニマリストです。

 

僕は持ち物は

比較的少ない方ですが

 

必要最小限かと言われれば、

そうではないバッグや靴だって

持っています。

 

ですが心の持ち方は

確実にミニマリスト

にあてはまります。

 

大切なもののために、何を削り、

何を残すかを判断し

行動を起こしています。

 

この

 

行動を起こす

 

ってすごく大切なポイント

だと思います。

 

 

 

 

何でもそうだと

思うんですが

 

口で言うことなんて

誰でも出来るじゃないですか。

 

誰もが誰もミニマリストである

必要なんて全くないと

僕は思っているんですけど

 

ミニマリスト的な考え方

今の世の中を豊かに生きる上で

すごく重要なポイント

だと思います。

 

 

 

そして結局は言葉でどれだけ

素敵なことを言っていても

 

行動が伴っていなければ

それはやっぱり

残念だなぁと感じます。

 

 

不必要、でも必要

 

今の暮らしも「これって必要?」というモノが数点あります 。たとえば、寝室に置いているオットマン。柄が気に入って買ったものですが、オットマンとしてはあまり使ってはおらず、就寝前に読んだ本や眼鏡を置いています。しかし、ただ物置きとして使うなら、別のモノでもいいはず。それでもお気に入りのオットマンが部屋にあるだけで、「私の寝室」だと思えます。不必要だけれど、あることで安心感を得られる。そういうモノは大切だと思います。無駄を削り身軽でいたいとは思いますが、心を削り落としてまでそうでありたいとは思いません。モノとして機能していなくても、心として重要な役割を果たしているのだったら、それは必要なものでしょう。

 

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生活にはそれが無くても

全く支障がないモノ。

 

だけどそれがあると

確実に自分の心が豊かになるモノ。

 

それは人によって

違っているけれど

 

それって僕が僕として生きている

あなたがあなたとして生きていく上で

とても大切なことだと思います。

 

シンプルに考える

 

私が家に対して最善だと思うのは、「光を入れること、風を通すこと、モノを詰めすぎないこと」の3点です。これらは、人との関係においても通じるところがあります。光を入れることは、相手のよいところを見つけること。風を通すことは、お互いにコミュニケーションを交わすこと。モノ詰めすぎないことは、ひとりでなんでも抱えすぎて無理をしないこと。

 

シンプルに考えるって

すごく大切だなぁと僕は思います。

 

 

 

 

例えば家にしたって

雑誌のようにオシャレで

素敵(に見える)ような

家じゃなくても 

いいわけじゃないですか。

 

こうじゃなきゃいけない!!

なんてルールなんて

ひとつもないのだから。

 

それでも私はいつも何かを判断するときに、「変えられるものと変えられないもの。これは、その2つのうちどちらであるか?」と考えます。壁紙や建具は変えられるものです。変えられるものは変えればいいのです。そして、人の心は変えられませんが、話し手と聞き手の双方で成り立つコミュニケーションは、片方が変われば変えられます。そう、自分が変わればおです。嫌いな人を好きになる必要はありません。しかし「おはよう」と声をかけることはできます。返事を返す・返さないは、相手の自由。自分から「おはよう」のボールを投げることで、言葉のキャッチボールは始まります。

 

よく言葉では

聞くことですが

 

 

人の心は変えられないけれど

自分が変われば

その人の見え方が変わる

ってほんとうだなって思います。

 

 

 

コミュニケーションって

一方通行じゃないですよね。

 

お互いがいてはじめて成立するもの。

それがコミュニケーション。

 

 

 

 

 

嫌いな人を無理して

好きになる必要はないけれど

自分から声をかけることは

できますよね?

 

もしかしたら、そこから

その人の新たな一面を発見して

好きになるかもしれませんよね?

 

シンプルに考えることで

人との関係も良くなるなんて

めっちゃ素敵だと思います^^

 

完璧を目指すのではなく、まずはやってみて、よい点を見つける

 

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欲を言えば、干す時にしわを伸ばして欲しい。しかし、夫が仕事から帰宅し、疲れた体で干してくれたタオル。タオルは洗濯し、乾いていれば最低限の役割を果たします。汚れたまま、あるいは濡れたままで、体を拭くタオルが1枚もないほうが困るのです。家事の「できる!」を小さく増やす。それが家族で家事を回すコツです。はじめはグシャグシャなタオルでもOK。「困っているから助けよう」と行動を起こしてくれたことのほうが、何倍も嬉しい。手伝ったのに「あれができていない。これができていない。」と言われれば、「そんなふうに言われるならやりたくないよ」とやる気の芽を摘んでしまいます。

 

これって

めちゃくちゃ分かります。

 

 

普段からタオルを干すことを

やっているお母さんからしたら

 

タオルを干す時にしわを伸ばすのは

干す時の「当たり前」なんですよね。

 

これってすでに基準が違うんですよ。

タオルを干し慣れていない人と。

 

誰だって最初は初心者なんだから

その道何十年の人と

初心者の基準が違うように

 

完璧を目指すと

 

誰にも何も任せられない。

すべて自分でやらなければ

いけない状態になると思うんです。

 

これって家庭でも、仕事でも

言えることだと思うんです。

 

何も人に任せられない人生って

確かに完璧なのかもしれませんが

僕はそんな人生に魅力は感じません。

 

人はひとりでは

生きていけません。

 

 

 

誰だって最初は初心者だし

今は何かの達人のあなただって

最初は初心者だったわけ

じゃないですか。

 

だったらまずは

やってくれたことを認めてみる。

 

そんなとこから

人との関係も深まっていく

のだと僕は思います。

 

まとめ

 

身軽に生きるって

乱暴な言い方をすると

 

世間の基準に自分を

合わせるのではなくて

 

自分の基準を

持ちながら人と関わる中で

 

自分が変化していくことを

楽しめちゃうこと

 

なんじゃないでしょうか。

 

 

 

自分の世界に

閉じこもるのではなく

世界に自分を開いていく。

 

嬉しいなと

思うことをしてもらったら

「ありがとう」

 

間違ったなと

思うことをしてしまったら

「ごめんなさい」

 

すごくシンプルですが

いくつになっても

そんなことを言える人。

 

 

 

僕は少なくともそんな人って

魅力的だなぁと感じますし

 

そういう人って

身軽に暮らしているし

 

身軽に生きているなぁ

と思います。

 

 

あなたにとって少しでも
得られるものがあったなら
嬉しいです^^

 

 

 

 


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