ブログを書きたくないなら書きたくないことを書こうミニマリストのブログ論
こんばんは^^
アツシです。
日常を楽しくする「モノ」や「コト」
を語っていきますね。
今日は
ブログを書きたくないなら書きたくないことを書こうミニマリストのブログ論
というお話をしようと思います。
ブログ100日連続更新73日目
詳しくはこちらをご覧ください↓
身もふたもない
言い方をします。
今日はブログを
書きたくありませんでした。
調子がよい時は
あんなにもキーボードをうつ手が
リズム良く動くのに
今日はパソコンの前に座り
リズムすら聞こえない時間が
続きました。
なにも浮かんできません。
考えがまとまらない。
ということで
ブログを書きたくないなら
書きたくないことを書こう
ということを
書こうと思います。
毎日生きていると
その中にはもちろん
嬉しいことも
たくさんあるのですが
やっぱり悲しいことも
あるわけです。
ここ数日
僕にとって
とても悲しいことが
ありました。
正直言って今も
悲しみに浸っています。
僕はときどき
自分のことを
とても不器用な人間
だなぁと思うんです。
悲しいことがあった時に
真正面から受け止めるし
見つめて咀嚼して
受け入れようとするから。
それは短い時間では
とても難しいんです。
目を背けると
一時的には
とても楽になるだろうし
何事もなかったように
日々を過ごすことだって
出来るのかもしれません。
でも僕は
悲しい時に
悲しみに浸ること
って、とても大切なこと
だと感じています。
生きていれば
誰にだって
悲しい時ってあります。
そんな時ぼくらは
もう二度とこんな思いを
したくないと思う時だって
あります。
絶望して何もしたくない
って思う時もあります。
何も考えられなくなる
かもしれません。
それでも
僕らはの人生は続くし
世界は何事もなかったように
進み続けます。
正直言って
悲しみとは
その度合いにもよりますが
簡単に
受け入れられるもの
ではないし
どれぐらいの時間があれば
受け入れられるのかも
はっきり言って分かりません。
それでも大切なのは
悲しみに対する姿勢
なのだと思います。
悲しみに支配されるのではなく
自分から悲しみに浸りにいく。
今はとてもじゃないけれど
気持ちの区切りなんてつかないし
起こった出来事に対して
現実味を感じていません。
ふとした時に
涙は頬を伝うだろうし
気持ちが落ちる
かもしれません。
それでも、
それでも、
僕は進む。
無理に乗り越える
必要なんてまったくないし
無理に笑う必要もない。
僕らに出来ることといえば
いつかこの悲しみを
抱きしめて進めることを願って
日々を生きていくことだ。
だから今
無力感を感じながらも
こうやってキーボードを
たたいているんです。
正直言って
今日のブログのタイトルの
ブログを書きたくないなら
書きたくないことを書こう
という記事からは
ずれてきましたが
それでも
言葉にしているのは
僕にはこういう
思いがあるからです。
湧いてきた言葉は
— ミニマリストアツシ@ブログ毎日更新73日目📖 (@a24_ishida) 2019年7月26日
出したほうがいいです。
なんとなく嫌な感じがする
ことと、言語化して
自分の気持ちを捉えること。
それは似ているようで
まったくのべつものです。
自分のことを
よくわかっている人は
無意識か意識的にかかわらず
それをやっている人が
圧倒的に多い。
湧いてきた言葉は
出したほうがいいです。
なんとなく嫌な感じがすることと
言語化して自分の気持ちを捉えること。
それは似ているようで
まったくのべつものです。
自分のことをよくわかっている人は
無意識か意識的にかかわらず
それをやっている人が 圧倒的に多い。
言葉にすることによって
頭の中は整理されるし
言葉にすることで
気持ちが浄化される。
書くことはそれ自体が
癒しなのかもしれません。
結局なにが
言いたいかというと
ブログを書きたくなくても
人生は続くし
悲しいことが起こっても
人生は続く。
だから
ブログを書きたくないなら
書きたくないことを書けばいいし
悲しいことが起こったなら
悲しみに浸りながら進めばいい。
そんなことを
思ったわけです。
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