ミニマリストアツシのア通信

暮らし方や持ち物、暮らしの最適化について

carpe diem

carpe diem カルペ・ディエム

ラテン語で

今を楽しめ、この瞬間を大切にしろ

という意味。

 

先のことを考えるのは確かに大切なことだ。

特に今のような、不安が多い世の中ではなおさらだ。

 

だけど時々思うことがある。

 

あまりにも先のことに気をとられ過ぎて

今というこの瞬間を楽しめていないのではないか、と。

 

僕らが生きているのは未来でも過去でもない。

今というこの瞬間だけだ。

 

 

そんなことをぼんやりと考えていると

以前見たいまを生きるという映画を思い出した。

 

とっても簡単に説明すると

 

ある日、全寮制の厳しい学校に破天荒な教師がやってきて

ちょっと変わった授業を通しながら生徒に「自由」を教えようとする

そんな物語だ。

 

この映画は、ぜひ一度は見ていただきたい。

カルペ ディエムの意味を映画を通して感じることが出来ると思う。

 

話を戻すと、

 

僕らは先のことを考えるということが完全にインストールされている。

意識せずとも先のことを考えている。

 

何かをしながら、気付いたら

つい先の予定のことを考えている。

 

目の前のことに夢中になっている状態って

考えてみると、意外とあんまりないような気がする。

 

夢中になるって、やっぱり集中しないと出来ないし

真剣にならないと無理だよなって思う。

 

集中するから発見があるし

真剣になるから面白いんだと思う。

 

今を楽しめ、この瞬間を大切にしろ

という言葉は、この世界の本質をついた言葉なんだと思う。

 

 

街中を歩いているとたまに思うことがある

様々な情報が飛び交っていて、目や耳に入ってくるけれど

 

 

その中で、自分にとってほんとうに大切なことは

ほとんどないような気がする。

 

 

今の世の中は簡単に情報が手に入るし

意識していなくても勝手に入ってくる。

 

だからこそ必要なのは自分にとって大切な情報はなにか

「取捨選択する力」なんだと思う。

 

自分は何が好きで、どんな時に心が満たされるのか

どんな時に心地よさを感じるのか、何をしている時に笑顔になるのか

 

意識的に内側と向き合ってみなければ分からないことが

自分にとっての本質なのだと思う。

 

大切なのは表面に見えている部分だけじゃなくて

その根っこの部分なんじゃないだろうか。

 

 

僕は楽しいことが好きだ。

その楽しさは遊園地などのテーマーパーク的な楽しさも含めて

広い意味での楽しさなのだけれど

 

何かの苦しみや我慢を紛らわす楽しさ

というのは好きじゃない。というか苦手だ。

 

苦しさや我慢を麻痺させてまで

生きていきたいとは思わない。

 

ここらへんは人それぞれの価値観の問題になってくると思うけれど

僕はそういう生き方をしたいとは思わない。

 

自分にとって、楽しいっていう感覚を

僕は昔からとても大切にしていて

あるい意味、楽しいの沸点はとても低いのだと思う。

 

楽しい、それは

 

歩いている時に足に伝わる地面の感触を感じる時

 

海岸で香る磯の香り

 

日向ぼっこをしている猫

 

他愛もない話

 

もちろん時には、作られた、演出された楽しさを

味わうことだってあるし、それだって楽しい。

 

だけど自分にとってほんとうに大切にしたい楽しいという感覚

テーマーパーク的な楽しさではないのだと思う。

 

僕はそういう感覚を持った人たちと生きていきたいと思う。

 

何を選ぶかは人それぞれで

自分にとって何が大切で、何を選ぶかということが大切なのだと思う。

 

何を選んだとしても、carpe diem

忘れたら何度でも思い出せばいいのだと思う。

今を楽しめ、この瞬間を大切にしろ

 

f:id:atsushi-ishida-ai:20160626235445j:plain

 

 

そんなことを思うんです。

 

 love yourself first

軽やかに生きよう